| a teacher's pet |
学校の先生に間違われます。
学生とすれ違ったりすると90%ほどの生徒が挨拶してくれます。そのときの彼らの会話は・・・
「誰け?」「先生じゃが」です。
宮崎に行くと
「誰やぁ?」「先生やじい」
鹿児島だと
「誰いな?」「先生じゃっど」
伊予だと
「誰ぞな?」「先生ぞなもし」
京都ですと
「どなたはんどすか」「先生どすゥ」
仕事柄いろんな学校に行きますが、私と似た人には一度も会ったことがありませぬ。なのに先生と間違えられます。
どうでもいい話ですな・・・
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| のしいかとニッケ紙とスカとコリスガムと・・・ |
セーターの袖はいつも鼻水でガパガパで、ポケットにはなぜかいつもちり紙のくずが入ったズボンのベルトは、いつもバックルから垂れ下がっていた昭和のガキは駄菓子屋のおばはんよりおっさんの方が好きであったのだったのだった。
くじでプラモデルを当てるのは東大に入るよりも困難で、棚に積み上げられていたプラモデルは箱の絵で選んでいた。
駅前の駄菓子屋の向かい側の文房具店のプラモのほうが偉く見えて、まして供給所や浦島屋のそれは後光が射してとても眩しく、お年玉でしか買えなんだ。
よってメロンや桃は死ぬほどの大病をせぬ限り食えなかったのだったのだった。
文と写真・・・門田康志 |
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| その続き・・・ |
で、のしいかやスズメの卵は必需品で、5円もしくは10円ある時はこれで栄養補給やっていたんですわ。
一粒三百bのグリコや森永パレードチョコレートは遠足のときにしか買えないのが当たり前で、普段はフルタのチョコレート、チューブチョコ、コリスガム、冷凍しなくても腐らない謎のヨーグルト、なぜかセルロイド製試験管に入ったゼリーらしき極彩色の食い物、紙にニッケらしき合成着色料とチクロと化学物質の混ざったニッケ紙、ガラス容器に入っているのに夏の直射日光に当たっても腐らないイカの串、口に入れたとたんにゴジラになれるハッタイ粉。
そして当時のファンタやミリンダは染色ができるほど強烈な色だった・・・。
いいですか、昭和の、三丁目の夕日世代はこんなエゲツナイもん食っていたんでっせ。そりゃ長生きなんてできません!
文と写真 門田と笑う犬、ももちゃん |
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| そして・・・ |
自動車は増えてはきたけれど、自家用車はまだまだ少なくって輸送手段に馬車が活躍してました。馬がパッカパッカ歩きながら糞をしますが、昔の子はこれを汚物ではなく、
「馬ん糞踏んだら足が速くなるげな!」と崇めてました。
「あんやつは(運動会前)馬ん糞踏んだげなぞ。速くなっちょるはずぢゃから気をつけろ!」
とリレースタート前に緊張が走ったもんです。
しかしなんで道に落ちたうんこ(種類を問わず)見つけると必ず棒でつついていたんでしょう。
乾いた表面をつついて、まだみずみずしい黄色が出で来ると「うっうぇ〜!」と逃げ、それを棒に付けた奴が誰かにひっつけてました。そしてひっつけられる子はだいたい決まっていて、それは日常的になった普段の風景でしかないくらいに当り前の出来事やったんですな。
ちなみに昔は土手やあぜ道に山羊がたくさん繋がれていたですよ。「メーメー、♪カランコロン」と風情がありました。
文・・・やす・かどた
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| ライク・ア・ローリング・ストーン1 |
履物屋さん、死語になりつつあります。
昭和のある日、近所にあった履物屋さんにズックを買いに行く南小1年2組のわたし。
店の間口は狭くて(3mくらい)、商品は梁から吊り下げる(縄で縛って)、壁の棚(らしき板)に積み上げられている(潰れて埃をかぶった箱入り)、平台に並べられている、の陳列です。
床は土の土間で、照明は裸電球(蜘蛛の巣付き)が二つ三つ。奥の二畳ほどの座敷(番台のような)には、ばあちゃんラヂオを聞きながら下駄の鼻緒を立てます。落語とか浪曲なんかを流しながら・・・。 |
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| ライク・ア・ローリング・ストーン2 |
履物屋さんは生ゴムの懐かしい匂いがするんですわ。新品のズックしか醸しだすことができない芳醇な香りです。
当時の会話の様子は・・・
「おばちゃん、19cmのズックちょうだい」「19cmいうたら何文やったかいね?」「8文て、かあちゃんがいいよった」
わかりますか?かつて使っていた日本の単位から西洋の単位へと変化させられた時代なんですわ。
「やっさん、味噌を十文目買ってきて」なんて言われたんですよ、力道山が活躍して、ビートルズが不良だといわれていた時代には。
なんていうか、オレンジ色の夕日の中でヒグラシが、「カナカナカナ♪」と街中で鳴いておりました。打ち水をした歩道の小さな水溜りが、裸足の足にとても優しゅうございましたなあ・・・。
文と写真 かどた
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| カルチャーショック1966春の乱 |
1967年当時の南小学生から見た恒小以北の小学校は、いわゆる街の小学校でした。
小学校の野球は体操着とトレパンでするもの、と思っていたら延小も岡小もユニフォームを着ておった!
「さすがアズマヤが近いとこの学校ぢゃ」と納得する私。
そんなある日、街から転校生がやって来たげな。背が高くて二重瞼で目が大きくて、そして七三に分けられた髪型に南小の生徒は驚き騒ぎまくったげな。
女の子たちはうっとりと恋心を抱いて、たちまち人気者になったそうな。
「あんげなつはテレビでしか出てこんぞ!東京モンのごたあるわ!生意気なわ!殴らしちゃる!」
幕末の土佐勤皇党みたく、平原やら構口やら片田の子やらは天誅をくわえようと、校庭の隅に集まっては雄たけびをあげたそうな。
喧嘩の強いO君やらリーダーシップのあるM君が立ち上がって言った・・・あん奴は好かん!
・・・どんげなっちゃろうかい。
summer of 67' ロスチャイルド・門田 |
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| カルチャーショック1966夏の乱2 |
機は熟した。いよいよ街から来た文明に鉄槌が下ろされようとしていたのだったのだった。
気炎を上げたのが木曜日。「決行は月曜じゃげな!」
緊張がピンと張り詰めたまま週が明けた。
おら、たまがっただ!
O君もM君も髪が七三に分けられて、それはその朝に櫛が入れられた清々しい七三じゃった。
次の日の朝、わたしは家を出て学校へ向う途中の家の影で髪に櫛を入れた。こっそりと、そして確実に。
心にささやいた・・・
「なんかナイスなヤングの仲間入りしたごたある。俺も街の子みたいぢゃ・・・」
フランソワーズ・かどた |
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| 自由ということ |
教育TVでスコラという番組やってました。
坂本龍一、山下洋輔などが講師になって、ジャズを知らない都内の中高生のブラスバンドにジャズの演奏法を説いていく内容です。
そのなかでアドリブ演奏についての授業がありました。モード奏法を使って、その使用される音階のみで自由に演奏させるんですわ。ある規定の中において、その間の演奏はまったく自由にしていいんです。
するとみんなそれぞれにびっくりするようなアドリブを吹くんですな。
自由とは、自由であるという枠の中で自由であり、自由という枠内には無限の自由があり非常にクリエイティブな空間なんだろうとわたしは思います。
KIND OF BLUE 聴きながら思う門田 |
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