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豫章館 よしょうかん
藩主伊東家の屋敷と庭園
豫章館は明治2年に造られた藩主伊東家の住まいで、広い屋敷地に主屋や御数寄屋・雑舎・蔵を配し、入口には薬医門を構えている。飫肥城下では最も格式のある武家屋敷である。南面一帯は武学流の作庭といわれる庭園で、広い空間に庭石や石灯籠・庭木などが巧みに配置され、閑静な佇まいの枯山水式庭園である。
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松尾の丸
江戸時代の藩主の御殿を再現
松尾の丸は江戸時代初期の書院造りの御殿として、時代考証のうえ昭和54年に建築された。建物は御座の間、茶室、御寝所、湯殿、台所、御蔵などからなる。このうち湯殿は、国宝である西本願寺の飛雲閣のものを模したこけら葺きの総桧造りである。
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飫肥城歴史資料館
飫肥藩ゆかりの品々を展示
藤原氏南家の子孫で800年続いた由緒ある家柄の伊東家。その19代祐兵(すけたけ)公が天正15年(1587)秀吉より飫肥城を賜って以来、明治4年の廃藩に至るまでに伊東家14代の城主がこの地を本拠とした。
この長い歴史に支えられ飫肥藩伊東家や家臣達に伝えられてきた、甲冑・刀剣・武具・古文書・衣服等飫肥藩ゆかりの歴史資料、約220点が展示、保管されている。
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国際交流センター小村記念館
小村寿太郎侯の資料館、国際交流・文化的行事にも活用
日本の近代外交の礎を築いた明治の外交官、小村寿太郎侯の遺徳を顕彰して没後80年を経て平成5年に開館した。
記念館は小村侯の資料やビデオにより生い立ちから業績までを紹介している。国際交流センターは、200人収容の大会議室と40人収容の小会議室があり、同時通訳施設を完備している。 |
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旧山本猪平家 やまもといへい
明治の商人屋敷を今に伝える
飫肥の豪商であった山本猪平が明治40年(1907)頃に建築した商家の本宅で、ほぼ建築当初のまま残されている。飫肥の商人屋敷を現代に伝える遺構として貴重なものである。 |
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商家資料館
飫肥商人の暮らしに触れる
飫肥城下の商人町の代表的な建物である妹尾金物店を移築復元して本町の商家資料館とした。
建物は明治3年(1870)に当時の山林地主の山本五兵衛が建てたもので、木造一部二階建ての白漆喰壁の土蔵造りで、樹齢200年以上の飫肥杉を使った豪壮な建物である。 |
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旧藩校振徳堂 しんとくどう
飫肥藩の藩校。小村侯も学んだ
天保2年(1831)、藩主伊東祐相が飫肥藩の藩校として設立した建物で、高さ2m以上の高い石垣に囲まれた広い敷地内に長屋門と主屋が保存されている。
藩校の教授陣には安井滄洲(そうしゅう)、息軒(そっけん)が任じられ、小倉処平(しょへい)や小村寿太郎などの人物を輩出している。 |
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旧伊東伝左衛門家 いとうでんざえもん
飫肥藩上級家臣の武家屋敷と庭園
飫肥城下に残された武家屋敷で、19世紀初めの建築と推定され、幕末の城下絵図によると伊東伝左衛門家とある。横馬場と八幡馬場に面した石垣や、枯山水の庭園とともに、飫肥の武家屋敷の典型である。 |
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小村寿太郎生家
小村侯の生家を保存
小村寿太郎侯は桂太郎内閣で2度も外務大臣をつとめた。数ある業績の中でも、明治38年(1905)緊迫した政情の中で、日本側全権として、ポーツマス条約(日露講和条約)を調印して、日露戦争を終結に導いたことは、最たるものである。その寿太郎侯の生家が平成16年に復元されたものである。 |
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四半的射場 しはんまと
女性にも気軽に楽しめる。
飫肥藩に伝わる半弓で、射場から的まで四間半、弓矢ともに四尺五寸、的が四寸五分で、すべて四半であることから四半的と呼ぶ。
四半的射場では、10射300円で体験できる。
(的中した場合は、記念品がある。)
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